ネットで調べても分からない。分けつするネギの由来。記事により表記も違うので悩む。
お早うございます。ヒロくんです。
数年前、私が偶然友達から頂いた分けつする長ねぎ。正式な名前を知りたくて検索するも何年経っても分からない。
名の由来も何にも分からず、永年伝えられてきた農家専用の長ネギ。正式に名前を命名すると、即税収されるからかも。それ程昔は税を搾り取るのがすさまじかったのかもしれません。
たまたま食べているところを役人に見つかると
「食べるものが無いので雑草を食べているんで」と、誤魔化しも聞きますね。
それで、うっかり名前を付けられなかった。仲間内で話す時は「あれ」「これ」って呼んでいたのかもしれません。
そう言えば10年以上前になるかな。歌手兼タレント兼俳優の武田鉄矢さん。この人が面白い事をラジオで言っていました。
「公園や道端にはニラがいっぱい生えているんだよ」
と、前後の経緯は覚えていませんが、彼らしい面白い事を言うなと思って笑って聞いていました。
確かに人から見ればニラに見えるものはニラ。ニラでも雑草に見えれば雑草。
そんな事を思い起こさせる話でした。
今ではインターネットが発達して、誰でも簡単にブログを作る様になり、私みたいなのが頭をひねって記事を書いたりしています。
分けつする長ねぎの記事を書くにしても「あれ」「これ」では話が進みません。 それで皆、手前勝手に名前を付けているのかな。まさかそんな事は無いでしょうが。
例えばネギ坊主が出なければ「坊主知らづ」とかですね。私なんか最初はそう呼んでいましたがネギ坊主が出来たので「分けつ長ねぎ」と勝手に命名しました。
今思うと「坊主出長ねぎ」の方が良かったかも。
以前は分けつするネギが主流だったかも知れない
ウィキペデイアで調べますと何となく分かってきたことがあります。
千住ネギという品種があります。原産地は江戸東部の砂村で、一説によると大阪城落城後に種が大阪から持ち込まれたとか。
千住ネギは今や加賀、九条と並び日本三大ねぎの一つですね。千住群と言われる程、沢山の地域でネギが栽培されています。
葉鞘の白くなった部分を主に食べる千住群や加賀群の東日本と、西日本の様な緑色の部分を食べる葉ネギ、これは九条ネギが有名ですね。これらは愛知県を境としています。
九条ネギはご存知の様に分けつして増えて行きますね。仮説ですが千住に伝わったネギの大阪の種は難波葱(なんばねぎ)で、それが京都にも伝わり風土に合った九条ネギとなって行っという説があります。
加賀は有名な「下仁田ネギ」ですね。関東は白く長い根深ネギが発達して行きます。西日本と東、北日本の違いはネギ一つを見ても面白いですね。
「千住ネギ」も「下仁田ネギ」も分けつしにくいネギに改良されました。
千住ネギは元々株別れするネギ
ここから耳寄りな情報になります。当初は分けつする性質を持っていたというのです。それが明治時代になって改良が進み、分けつしない1本ねぎとなった。
その後大正時代に「石倉」とかの固有名を持つ数種類に分かれていったそうです。「石倉一本ねぎ」がこの頃に出来たんですね。
大阪で食べられたネギだけが分けつ種という訳では無いでしょうが、見栄えから行ったら長くなる1本ねぎの方が良いですよね。
それが主流になり、元々の見栄えの悪い「分けつ種」は片隅に置かれるようになった。こんなとこでしょうか。
株別れネギは時代遅れか
近代になって分けつしない長ネギが開発されてきましたね。しかも大正時代です。年配者の人のお父さんお母さんは普通に分けつする長ねぎを食べていた事になります。若い方たちはお爺さん、おばあさんに当たりますね。
それにしても長ねぎが分けつするという事を私は知りませんでした。小さい頃は遠くからリヤカーに野菜をいっぱい積んだおばさんが売りに来ていました。
母親と一緒になって野菜を何度も見たし、近くの八百屋さんにも買い物を何度もしました。一度も分けつする長ねぎを見た記憶がありません。
当然昭和の話ですが、その頃は既に一本長ねぎが主流だったんですね。分けつネギは東北では時代遅れのネギになっていた。
最初の話に戻りますが、やはり分けつ長ねぎは日の目を見なくなり、細々と農家さん専用のネギとして受け継がれて行った。
何といっても狭い場所でも分けつして増えるので貴重な食材ですよね。
単純計算ですが私なんか30㎝間隔で一株植えますから5株植えたとして、150㎝。そのスペースに普通に根深ネギの苗を5㎝間隔で植えると約30本ですね。
分けつネギは1株に付き10~15本で50~75本になります。
これで直径2~2.5㎝、白い部分が40㎝以上の物が作れれば最高ですね。
汐留晩生ネギを知る
たまたまなんですが「汐止ネギ」というネギの存在を知りました。神奈川県にお住いの人のブログです。その中に「汐留晩生(しおどめおく)ネギ」の記事がありました。
画像を見て見ますと私の「分けつ長ねぎ」の様な感じがします。単純にああ、自分のは「汐留晩生ネギ」という名前だったのかと喜びました。
やっと巡り合えた嬉しさがありましたね。
その後に「汐留」とは何処の地域なんだろうと単純に気になりました。
調べてみると「汐留」というのは埼玉県八潮市で、もと千住ネギの産地である汐留村で、その村の農家の人が改良したものでした。
それで「汐留晩生ネギ(しおどめおくネギ)」と呼ばれるようになった様です。
汐留晩生ねぎは、千住系の「根深ねぎ」と京都の「九条ねぎ」が自然交雑から出来たといわれている「晩ねぎ」を選抜・改良したものとの事です。
一般的に「晩」とは遅れるとか遅いの意味です。ネギ坊主が出来るのが一般的に言われていますが、その「遅い」でしょうか。
「潮止ネギ」は「汐留ネギ」になったりと、書き手によって変わってきます。この辺が分けつネギの由来を妨げている遠因かと思います。
何れにしてもねぎ坊主が出来る、私が頂いたネギ坊主が出来るネギは「潮止晩(おく)ネギ」に最も近いと思います。
「潮止晩ネギ」で検索したところ結構ありました。分けつ長ねぎでは今までで一番メジャーな様です。
普通の一本長ねぎと同じで春に種を蒔いて7~8月に定植します。秋蒔きは翌年の春に一度仮植えしてから8月初旬にネギ坊主が出来るそうです。それを採取して一旦乾燥させ、緑葉部分を切ってから定植すると分けつが盛んになるそうです。
定植して植えてある状況を見ますと、今現在の私のやり方で良い様ですね。ひとまず安心です。