昔は縁起を担ぐことが多かったが、まさか野菜の断面が似ているから食べないとは
お早うございます。ヒロくんです。
春の訪れが近くなるとトマトやキュウリの種を蒔く時期になりますね。もっとも苗を購入して植える方が圧倒的に多いでしょう。
寒さ対策をすれば、さほど難しい事では無いと思います。一度お試しになってはいかがですか。
この時期になると思いだす事があります。
それは、江戸時代の武士はキュウリを食べなかったことです。
何故食べないのかというと、キュウリの断面が葵(あおい)の紋の「三つ葉葵」に似ているからという事です。
徳川家康が天下を平定してから、世渡り上手な側近等がご機嫌取りに変な倫理観を強要したのでしょうね。
馬鹿々々しい話ですが、これは本当の話です。町人が美味しそうに食べているのを横目で睨みながら我慢していたのでしょうか。
ところがこの当時のキュウリは不味かったそうです。それで、そんな習慣が出来たのかも。食べないで済む方便ですね。
似たような話があります。夏になると祇園(ぎおんまつり))とかで賑わいますね。
夏の風物詩です。コロナが依然として収束しない中で関係者も気を揉んでいると思います。
この祇園祭も同じような風習があります。
これもまた八坂神社の紋がキュウリの断面に似ているので、祭りの期間中は氏子を始めとする関係者はキュウリを食べないとか。
こちらの場合は願掛けの為です。
祭りの期間中に好きなものを断って疫病退散(えきびょうたいさん)を願い、無事に祭りが行える様にお願いをする為です。
その為に今が旬のキュウリを断って祈願したのですね。
流石に武士とは違い、徹底して強要はしないとは思いますが。
武士も江戸中心だけが五月蠅くて(うるさくて)地方の藩では差ほどでは無かったのでは。でないと、いくら武士とはいえ息がつまりますね。
黄門様も毛嫌い
キュウリは2通りの伝わり方があります。
- インドを経て中国華南に伝わった華南系
- シルクロードを経て中国華北に伝わった華北系
日本に最初に伝わったのは中国の華南系で苦みが強かったらしく、それを食した黄門様=水戸光圀が食べたところ
「毒多くて能無し。植えるべからず、食べるべからず」と酷評しました。相当に不味かったらしいですね。
また、キュウリの断面が徳川家の葵の紋と似ている事も原因で武士には不人気だったとか。武士もまことに辛いものです。
幕末、明治にかけて華北系のキュウリが日本に伝わります。そこで華南系と華北系の交雑が進み、長所を併せ持ったキュウリが登場し今日に至った訳ですね。
何れにしても、きゅうりの一番美味しい時期に食べられないなんて可哀そうです。キュウリに味噌をつけて食べると美味しいですね。漬物も美味しいし。
キュウリの豆知識
- 原産地はどこでしょう ヒマラヤ山脈シッキム地方
- 何科かな ウリ科
- 日本へはいつ頃伝わったのでしょう 相当に古く紀元前10世紀だとか。インドから中国の華南系、シルクロードを経て中国の華北系。中国から日本へと伝わってきました。
体への効能
カロリー等は低いが栄養的には非常に優れていると言われています。特に種や表皮が良いですね。
β-カロテン
青い表皮にはβ―カロテンが含まれています。きゅうりの色素成分であるβ‐カロテンは、活性酸素と呼ばれ、がんや老化、免疫機能の低下などに関わる物質の発生を抑える『抗酸化物質』の働きがあります。
さらにβ‐カロテンは、体の中でビタミンAに変化します。ビタミンAは、髪の健康維持、視力の維持、喉や肺等の呼吸器系統を守る。皮膚や粘膜の免疫力を高める働きがあります。
栽培時期
4月に種を蒔いて、5月に苗を植え付ける。品種改良によりこの時期以外でも栽培出来るものがあります。
「野菜のお話と効能」に関する記事をまとめています。宜しければどうぞ。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。